意見書を見れば弁理士の実力がわかる

特許明細書を1000件書いて一人前と言われた新人のころ。

当時は3日で2件を書き上げるような事務所にいたので、10年とは言わないまでもそれ位の年月は必要かと思っていた。

実際のところ1000件まで行かなくても明細書を書くこと自体は500件でもある程度の自身はつくが、特許術者、弁理士としての腕が試されるのは、意見書が書けるかどうかに尽きる。

実務的な話をすると、補正で拒絶理由をクリアするということ自体はさほど難易度は高くない。

最近の拒絶理由は昔と違って補正案を示唆する情報を暗示しているから、それを汲み取って対応すれば特許査定を得るという審査官との暗黙の合意を成立させることができる。

問題は依頼者が審査官の考えに同意しない場合。

自分の発明にケチを付けられたという思いもあり、補正なしで審査官に真っ向勝負を挑む依頼者が少なからずいる。

この場合は、補正とセットの意見書ではなく、意見のみで勝負するための本当の意見書を用意しなければならない。

やみくもに反論しても勝ち目はなく、審査官の考えを理解し、技術を理解し、法律を理解したうえで、審査官の琴線に触れるようなキラーワードを盛り込まないと審査官の心証を覆すことができず、このタイプの意見書作成は最も手強い。

補正の制限が設けられてしまった現在は、1stアクションで失敗すれば、即ファイナルとなるため、意見書で勝負するからには、それこそ匠の技を必要とする。

意見書にもスタイルというものがあるが、自分の場合、前文に余計な文章をづらづらと書いて枚数を稼ぐような意見書が嫌いなので、意見の内容の一行目から勝負にでる。

審査官の立場からすれば、最初の主張で心証が変われば、あとは読む必要などないわけで、これとは逆に長文にもかかわらずどこまで読んでも心証が変わるようなキラーワードがない意見書は逆に心証を悪くする。

ただし、そんな渾身の意見書はそうそう書けるわけではない。

一瞬の閃きという表現があるなら、まさに天から閃きが降り注ぐときがある。

当初は抽象的なモヤモヤとしたものを徐々に具体化させ、最終的には法律文章に落とし込んでいくわけだが、不思議なもので、自分の場合、解は必ず見つかると思いながら、数日間、悶々と考えていると、突然、その「閃き」の恩恵にあずかることができる。

明細書と意見書の違いは、前者が無機質な技術マニュアル風であるのに対して、後者は感情移入した小説風。

これも新人のころ、意見書は感情で書けと教わった記憶がある。

つまり審査官の心象を変えるためには、審査官を唸らせるだけの文章を書く必要があり、技術・法律よりも感情を込めて書きなさない、という指導だった。

意見書というより嘆願書に近いわけだが、自分のスタンスは技術論・法律論を際立たせるスパイスとして感情を込めた意見書を書いている。

このバランスが大事で、技術・法律の根拠がないのに感情論に訴えても、けんもほろろに拒絶されるだけなので要注意。

さて意見書論を長々と綴ってみたが、意見書の価値というものはなかなかクライアントに伝わりくいのも事実。

意見書の枚数を増やして価値があるようにみせるという方法もあるが、無駄なことはしたくない。

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